乙女小説と壮大なる浪漫艶本絵巻

車の中でNHKのドラマを見てた。

今日は中宮定子が剃髪するまでで。

うちのシュナーズおトイレ係は、毎週、毎週、それはそれは楽しみにしている。

その姿は、まるで吉屋信子の「花物語」を楽しみにしていた女学生や、「源氏物語」をまわし読みしていた平安女子となんも変わらん。

さすがだ、大石静女史。平成生まれ、令和を生きてる「かってのJK」をも夢中にさせる脚本、天晴としかいいようがないわ。

主人公のあまりの演技の下手さは置いとくとして(古典だと思わず、ライトノベルを書いてるネット小説家と思えばいいのか)、とても小説を書くような人物にみえない←化けるのか?

対して、清少納言役の来週の予告の呟く台詞。あぁ、清少納言役の役者もうまいが、ここであの有名なあの冒頭の文章を持ってくるのか。脱帽だ大石静女史。

ここの女房と殿下との関係性もやりとりも、これ自体が「乙女小説」なわけよ。

この二重三重の伏線、トラップも稀代の脚本家大石静女史。伏線回収をどう調理するか、味わってみたいよ、あたしゃ。

もし、中宮定子が、御簾の内にこもり、何もかもから「拒絶」された世界に置いておかれたとしたら、『春はあけぼの』の意味すらも変わってくる。

このドラマの中では、清少納言にとって中宮定子はこれから陽が昇っていく、光に導かれた春の日差し『あけぼの』そのものだったはずなのだから。

本はやっぱり面白れぇ。