医ということ

あたしの父親は9月1日に死んだ。

その時の婦長さんが今でも忘れられなくてね。

たくさん「死」を看て来てるんだろうから、もう、あとどれくらい・・・ってわかってるんだろう。

死んじゃうんだったら、お腹いっぱい鰻を食べさせてやればよかった。

あたしはあの時19歳。

下の弟は15歳。

氷をコップにたくさんくれて、余計な事を何一つ言わないで

「お父さまにしっかりやってあげなさい」

いわゆる

「死に水」

あたしは身内の「死に水」を何人とったろう。

「仕事」で死を看取るのと、「家族」の死を看取るのは全く違う。

医者も獣医もいちいち患者、患畜になんて寄り添ってなんていられないだろう。

それは、それでいい。

だけど、人を「小馬鹿」にされるのだけは頂けない。

「医は仁なり」なんて、西洋医学にそんな発想はないのか・・・って思ってしまう。

あの婦長さんがあたしの肩を後ろから、ポンって叩いて送り出してくれた。

この季節になると思い出す。

いまでも、あたしはあの婦長さんに背中を押されている。

そういうのが「医」の本質だと思う。

あたしの中にあの婦長さんの「仁」が息づいてる。

実践できるか、できないかは別として。

藍ちゃんに会いたいなあ。

夏は本当につらい。