仁とは

あたしのボヤキです。興味の無い方は飛ばしてください(笑)

10代の頃「切腹」のやり方を調べたことがあります。

『葉隠』なんて「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」ですからね。

松田修さんという国文学者がおりまして、この方の著作がめっちゃ面白くて、一時かぶれておりましたよ。もとは井原西鶴研究の学者さん。この方の日本思想史はほんと面白かった。

松田修著作集 松田修著 右文書院, 2002.9-2003.7

いま、NHKの『麒麟がくる』うるさい映像で興味なかったんだけど、「麒麟の結末どうつけるんじゃ?」って思って観始めましたよ。今週の土曜日、日曜日にかけて2日で一気にみます。

なんか『十二国記』のパクリなんじゃねえの?同じNHKだし・・・と思わずにはいられないんですが。

これって。明智光秀が『麒麟』で徳川家康の『麒麟』になって『天海和尚』って話になるんかい?それとも打ち捨てかい?

『三才図会』より 麒麟

「平安の世をもたらす」・・・・でもそれは誰にとっての「平安」?

そのこと望むこと自体が『虚構』でありファンタジー。

これはどこの世界にでも言えることなのでしょうね。戦いのあるところでは。

麒麟は仁のある王のところに現れる「瑞獣」生まれ落ちた時は性別がなく、やがて『雄』か『雌』になる。雄は『麒』雌は『麟』と呼ばれる。「竜」の一種といわれている。

『十有四年春、西に狩して麟を獲(え)たり――』『春秋』の最後の言葉。平和でない時にあらわれた麒麟はその不気味な姿から麒麟だと思われず殺されてしまった。この状態を悲しんだ孔子は『いままで自分のやってきたことはなんだったのか』と魯の歴史記録を最後に筆を折ってしまう。

仁とはなんなんでしょう。

麒麟って。

平安って。

仁があったらこんなにコロナは長引かなかったでしょうね。

でも、誰かがどのみち苦しむんです。

それを誰が止めるのでしょうか。

その後、その誰かは『存在』するのでしょうか。

このコロナの中『平安』をと望まずにはいられない。

P.S久々に『四書』を読み直したいと思いますが、シュナーズの世話でそれどころではありません(笑)