ひび割れた骨とう品

大好きなピアニストにホロヴィッツという人がいる。

諸事情で日本来日は高齢になってから。1983年のことだった。あたしが中学生の時で父親がチケットを用意してくれて聞きに行った。

その演奏を聴いた吉田秀和は「ひび割れた骨とう品」と評したのだ。

これは有名なエピソードでこのエピソードだけが一人歩きをしてしまった。

本当の真意はどこに?

難しいのだ。

「美」を考えた時に「年である」とか「強迫神経症の薬を飲んでいて最悪のコンディションだっだ」とか、その事を出してくること自体「色眼鏡」でみてしまっている。

「芸術」というものは「年」だろうが「神経症」だろう辻井伸行のように「視覚障害」を持っていようが「公平」に評価されねばならない。「色眼鏡」でみること自体「不公平」になってしまうからだ。

あたしにはちょっと残念なことがあって。頭の中をずっとホロヴィッツが流れてる。

これはもっと若い時の演奏ね。↓

どれだけ、素晴らしい演奏をしたとしても「骨とう品」は一つのミスも許されない。

「強迫神経症」の薬で指が震えていたとしても、79歳であれだけの演奏をしたとしても「骨とう品」は一点の曇りがあったら許されない。

そのことを言えたのは吉田秀和だけ。

そのこと書くことがどれだけつらかったろう。

そう評されたことを知ったホロヴィッツは気に病み続け、その3年後完璧な演奏を成し遂げる。「この人は今も比類のない鍵盤の魔術師」と吉田秀和が評したことまでは語られることがないのだけれど。

色んな考え方があるし、色んな想いもある。

そして、あたしは幼い頃からガッツリ美学で育てられてしまったから、そこから抜け出せないのだな・・・と思った。

ホロヴィッツのショパンの「バラード」一番大好きな曲。やっぱり素敵。