昔、お茶の水女子大学に「本田和子」という先生がいらっしゃったの。
とても素敵な先生で「少女」のような先生。
↑ごめんなさい、出典元わかりません。
私が大好きな教授と言えばお茶の水女子大学名誉教授の本田和子先生。
美術史家の千葉大学名誉教授でいらした若桑みどり先生(←美大に通ってた私の弟の後輩のお母さまだった、世間は狭い。若くして亡くなられたけれど)
「少女論」を語らしたら本田和子先生に勝てる人いないし、ジェンダーを語らせたら若桑先生より簡潔に論んじられる先生いらっしゃらなかった。難しいことを「簡潔」に語る・・・・素晴らしいわ。本当に頭のいい方々だし、ユーモアがある。そう、ありたいと思うけど、ぱっぱらぱーのあたしはリーム―。
で、最近、「花物語」が流行っているのかな?
やたら、アクセス数が増えてる(笑)
すみません、このブログ、「シュナウザー」なんです、メイン。
えっ?そーなんでしゅか?
コホン・・・で・・・・
本田和子先生の著作である
『異文化としての子ども』ちくま学術文庫
この中に、実は吉屋信子を論じているものがあるの。
日本・・・・て、「少年」を描いたものや、論じたものって多いのだけど、「少女論」となると、変にいやらしい視線で論じたものや、年食ったおっさんが論じている、絡みつく視線で描いている「男性主観」のものしかない。
「吉屋信子」は「少女」を「少女」のまま描けた稀有な作家さんだと、私は思うのだ。美しくて切なくて、そして儚い。今の時点で読むのと、書かれた時点で読むのでは「社会的背景」があまりに違い過ぎるので注意。当時のこの雑誌たちを読む「少女たち」の置かれた状況は、あまりに過酷だったのではと思う。
シュナウザーもそうなんだと思うけど、「現在のシュナウザー」の形をみて「当時のシュナウザー」の形を語るのはナンセンスよね。だって、「状況」が違うのだもの。
そして「少年」よりも「少女」のほうが、「少女」でいられる期間が短いのだ。これは、当時も現代も一緒。
・・・身につまされるわ。SarahちゃんやMielの「少女時代」の「お手入れ」をきちんとしてあげなかった。
当時、川端康成と吉屋信子が「少女の友」の双璧。川端君と並んじゃうんだよ、すごくない?「少年」だったら森茉莉あたりだけど、あれも絶版か。川端君の「雪国」とか、泉鏡花の「日本橋」と比べても面白いのか。おっと脱線。
もし、吉屋信子を読むのなら、本田和子先生の本も読まれると、いっそう面白いと思うのだ。
「言葉を終りて物語りし人は 指先をひそかに、たさぐれば薬指のあたりにこのあはれ、
深きローマンスの秘密をこめし指輪は おぼろに冴えゆく暁の明星のやうに閃きました。仄かに儚げに」
世紀末的な、アールヌーヴォーな香りプンプンの、めっちゃ美文調でしょ?素敵。吉屋信子って詩的才能めっちゃあると思う。正しく評価されるべき作家さんだと思うぞ、あたしは。
あたしゃ、吉屋信子の本が復刻されているなんて知りませんでしたよ。
あたしが読んだのはかれこれ・・・・・・・・・・数十年前(爆)
でも、いいものはいつの時代に読んでも素晴らしい。
素敵なシュナはいつの時代でも、「シュナはシュナ」
そっか、あたしはそれを目指そう!
素敵なシュナは、いつになっても、どんな時も「素敵なシュナウザー」
うん。