熊の親切

「あるところに、隠者と熊がいた。熊は休んでいる友の隠者の顔にハエがたかっているので、ハエを払おうとして、隠者を殴り殺してしまった・・・」というクルイロフの寓話から

「ありがた迷惑、お節介」の意味。

もとはラ・フォンティーヌの寓話「熊と園芸好きな人」からきている。ラ・フォンティーヌもパンタチャントラから翻案し、パンチャタントラもインドの仏教説話ジャータカから取り入れた。

昨夜、藍ちゃんが大変な目にあった。

理由は

「一緒に寝ていた藍ちゃんに寒いだろうと思って、自分と机の間の藍ちゃんに毛布と羽毛布団をかけてしまった。その結果、藍ちゃんは身動きが取れず酸欠になってしまった」からだ。

悪気はないのだ。「寒かろう」と思っただけなのだから。

一緒に藍ちゃんと寝ていた彼女には発達障害がある。一度寝てしまったら、まったく気が付かない。

23歳の彼女は藍ちゃんといることで落ち着く。藍ちゃんといることだけで「外界」との接点を持つ事が出来る。

私は「支援」の一環として「犬」と過ごさせている。

生活のリズムを持たない彼女は、犬の世話をする事で、生活に時間の区切りをつける事ができるようになった。

犬は偏見を持たない。犬は誰に対しても公平だ。

その姿を人間も見習うべきなのだ。

23歳の彼女は自分を自分よりも大事にしてくれる友を苦しめてしまった。

しかも、自分の手で。

そんな、哀しい出来事があるだろうか。

幸いにも私が藍ちゃんに気が付いた。そもそも、藍ちゃんは私の側でしか寝ない。

たまたまだったのだ。それも、10分位の事だったか。

藍ちゃんを探してもいないから、不思議な音がするほうを開けてみたら、顔中よだれまみれになった藍ちゃんがはぁはぁしていた。

数年前、framに「寒かろう」と熱湯に近い湯たんぽをケージの側に置き、たまたま、その上で寝てしまったframの心臓の腱索を断裂させてしまったのは「彼女の母親」だ。

湯たんぽのお湯を熱すぎないように・・・と注意していたのに。注意欠陥と呼ばれるものだ。これまた、本人は悪気はないのだ。

オキシトシンというホルモンがある。「愛情ホルモン」とか「幸せホルモン」とも呼ばれる。犬と触れ合う事で双方にこのオキシトシンが増加するという事が最近の研究でわかってきた。

犬が傍にいてくれる、存在していてくれるだけで、精神が落ち着く。

それなのに、一生懸命やった結果が悲劇にしかならないなんて、あまりにも辛すぎる。

朝、藍はまだぐったりしていた。

病院に連れて行こうかと思っていたら、ご近所からサーダーアンダギーを頂いたのだ。

くれくれ、言い始めたから大丈夫だと思った。

熊はね、隠者がどれだけ自分を大事にしていてくれたか知っていたの。

その大好きな隠者の為に熊は何かをしてあげたかった。

この写真の瞳には私が映っている。

私の宝物の藍ちゃん。私の仕事のパートナーでもある。