アガサ・クリスティー的と申しましょうか

ある事柄があるとする。

その事柄について「Aにしようか」または「Bにしようか」と悩んでいたとする。

それはその事柄を「放棄」するのではなく、「どうすべきか」悩んでいたとする。

なのに「止めちゃえばいいんだよ」とか「そんなの馬鹿だから」とか、まったく「明後日」もしくは「斜めからの答え」が返ってくる。

疲れる以外なにものでもない。

アガサ・クリスティーは読み手の知らない「事実」が出てきちゃう。

知らない事実を、一本の糸に撚りあげていくセンスは素晴らしいけどね。

「止めちゃえばいいんだよ」と言われて止めてしまったり、その事柄が立ち行かなくなったり、「そんなの馬鹿だよ」と存在意義を否定するなら、どうすべきかまで指し示すべきだとおもうのだけど、そういうことはしないんだな。

春なのに気が重い。