パキスタンの洪水。
国土の三分の一が水没。
神話かゲームの世界のよう。
日本もそうだけど、
昔から切り崩してはいけない場所。
昔から家を建ててはいけない場所。
昔から「言われてる場所」というものがある。
どうしてこんなことになったのだろう・・・って思う。
地球温暖化。
自宅で「クーラーのスイッチ」を付けることも、洪水の原因の一つになっている。
暑いのだから仕方ない。いまの状態でクーラーをつけなかったら死んでしまう人も犬もたくさんいるのだから。
だけど、いつも思ってしまう。
そこで「起きている」ことは「自分も加担してしまっている」のではなかろうかと。
「優しい」という言葉は「自分の身が痩せる」ということが語源。「優」の語源は「人がふさぎ込み思い悩む」の意。
転じて「人の憂いに寄り添える人」という意味だと、私は解釈している。
ニュースを観て「憂う」ことは出来る。でもいま必要なのは「憂う」ことではなくて、なぜそうなったのか、これからどうしたらいいのかを考える「勇」そしてそれを支える二枚看板の「お金」
「優しい」だけじゃ腹は膨れない。「憂いている」ばかりじゃ、助けられるのも助けられなくなってしまう。
こんな時はどんな慰めの言葉も、応援の言葉も陳腐だ。
ただただ、気持ちに寄り添える人でありたい。
その一方で、そのことを発信し、いま必要なものは何か、すべきことはなにか、行動できる人でありたいと思う。
こうやって書くことも行動の一つだと信じている。
祈るのも行動の一つ。
どうか、はやく終息しますように。