「事実というものは存在しないんだ。あるものは解釈だけ」・・・・とのたまわったニーチェ君。
まっ、いわゆる実存主義の有名な方ですが、晩年は頭が残念なことになってしまった方です。
雨の夜長にちょっと思い耽っておりました。
うちの藍リン。お耳が立っております。
あたしはかわいいと思います。
でも、これをみっともないと思う人もいるし見たくもないと思う人もいるでしょう。それも然り。
うちのシュナーズ。耳が立っております。
整形手術を受けていますからね。カッコいいと思います。
ですが「整形手術」を受けた・・・という事実を知れば虐待だという人もいるし、麻酔なしで尻尾を切れば虐待だと思うでしょう。実際、現状の獣医学界では痛みがあるとされています。これはうちの子の「断尾」した尻尾です。モルトのかな?空に帰る時に完全な身体にして戻してあげようと思って貰ってきました。本当は4頭分欲しかった。
ここももめるところではありますが。仔犬に麻酔は使えません。そうすると「じゃ、尻尾を切らなきゃいいじゃねえか」ってことになります。実際言われました。が、そうするとシュナウザーの胸の形は変わってしまうでしょうね。素人なので言い切れませんが、獣医ではありませんし、整骨院でもありませんから。だとシュナウザーの「存在理由」が無くなってしまうのです。何の為にその「犬種が作られて」何のために「そのような形態」にしたのかが重要になってくる。
解釈の違いなのです。
人間が作ったという時点で、人為的なものが入っているし「耳を切る」ということがデフォルト。存在理由の証となる。
では、それ以外はアウトですか?
ニーチェでいうところのアポロン的とディオニュソス的の違いってことでしょうか。
双方がいて実は成り立っている。片方が欠けても成り立たないんです。
「断耳した子以外持ちたく無い」と言ってしまえば、シュナウザーは滅びてしまうでしょう。また、「断耳、断尾してる子はかわいそうだ」と言い切ってしまえば、スタンダートなものが崩れてしまうでしょう。「伝統」は作り上げられるものですが、作り上げられるのには「意味」があると思います。そこに存在する意味がある。「本質」といいますか。
「事実というものは存在しないんだ。あるものは解釈だけ」・・・ニーチェ君、君ってうがったこと言ったよね。
雨の夜長によろしかったらどうぞ。↓マスター大屋さまとかみぃちゃんあたりはすでに読了だろうけど(笑)
「悲劇の誕生」 ニーチェ著 岩波文庫
「創られた伝統」エリック・ホブズボーム テレンス・レンジャー編 紀伊国屋書店