人それぞれ考え方も、主義もあるから、基本は相手の考え方を尊重している。
死んだら塵になるだけ・・・と去年、藍リンが死んだときに言われた。
暖かくて柔らかくて、毛もこじゃらの生き物。
「気配」
そういうものがあったりする。
振り返ったら溶けて無くなってしまいそうな、気配。
・・・去年、ある方の飼い犬ちゃんが亡くなった。
その方は藍が死んで惚けてるあたしに「死んだら塵になるだけ」「気配なんて感じるわけがない」と言い続けてた方だった。
そんなことを言わせる宗教なんて全て滅んでしまえばいい。
己の正義をかざして
悲しんでいる人がいる・・・ということを実感できない人が実は多くいる。
今年になりその方が「気配を感じるの」と言い始めた。
その方の宗教では「死んだら塵になるだけ」という宗教。
去年亡くなった犬は、初めて飼った犬だったそうだ。
失うまで、たぶん、本当にわからなかったんだろう。
ゆっくり、ゆっくり、心に浸食していく
「特別な子の死」というものを。
その時になって、あたしが呟いていたことを今度は呟き始める。
犬や猫を飼って「初めての死」もしくは「特別な子の死」
耐え難い「死」
あたしもそうなんだろう。
人の気持ちなんてわからない。
同じ立場になんてたてないんだから。
立ち位置が違う人との考え方のぶつかり合いは仕方ない。
宗教も信仰もある程度は役に立つだろうけど。
手から伝わる暖かさは、失ってみないとわからない。
お花を届けようか・・・とも思ったけど。
これはあたしの自己満足なんだろうし、死んだら塵になるだけ・・・と言い続けた人に届けようがない。
「塵」にお花を飾る習慣はないそうだ。
藍に毎日ご飯を供えたり、お花を手向けたりはナンセンスなんだろう。
そうでもしないと、心のバランスが取れない人間だって世の中には存在するのだ。
お会いすると話したいのだろう、呼び止められる。
いまの、あたしは相手の状態を慮れるほど、健康な精神状態ではないから、お誘いは受け流している。
「死んだら塵になるだけ」
愛犬が死んだ直後の人間に言うんだろうか。
そんな宗教ならあたしはいらない。