自分の頭の回転が遅いのと、頭の悪さに辟易する。
トロッコ問題というのがある。
「ある人を救うのに、他の人の命を犠牲にするのは許されるのか?」という問いなんだけど。
この命題はいろいろ使えて、「自分の目的の為に、他人を犠牲にするのは許されるのか?」とか
「AなりBなりの問題を抱えているが、問題解決の為にはBの問題には目を瞑る」とか。
功利主義と義務論の対立に他ならないんだけど。
医療というものは、常に『神』と対立する。科学というものが『神』と対立といったほうがいいか。
ここにも命題が存在し、医療をおこなうには神の意思を無視してはいないのか(人が命の優劣をつけられるのか?)そもそもそのことすら神の思惑なのか、もしくは試練・・・という二重構造とかもしれんが。
あたしのかわいい、ウィちゅきー。
ウィちゅきーだけでも、トロッコ問題が山積。
発作を抑えれば、肝臓が。
私が遠出をすれば、ウィちゅきーに負担が。
自分の欲求=功利主義
責任=義務論
何もかもが『ギフト』ということだと受け止めてる。
もっと頭が良かったら、ウィちゅきーにしてあげられることもっとたくさんある。
自分の頭の悪さ、回転の遅さ。
辟易する。