大寒の朝。
卵の朝。
薬造りの朝。
前日の19日。大雄山の慧春尼さんにご挨拶。
ご報告と、浄化といえば「浄化」かな。具合の悪い兄弟と、亡くなった子と、病気と闘ってる方たちと、毎日の感謝。何度も書くけど信心があるわけではございません、はい。
毎回お水を頂いてくるのだけど、人が多すぎてやめた。甘酒造りは次回にしようと思う。
毎年、大寒の卵を購入しております。
大寒の卵を食べると病気知らずっていうからさ。
毎日の積み重ねだと思うから出来ることっていったら、あたしは食べ物なんだよね。
シュナーズだったり、友達だったり、ご近所だったり、身体の中から『元気』になればって思うのよ。だから配っちゃうんだけど。
『元気』というのはすごく明快なものだけど、維持するのは難しい。
食生活が乱れたら『元気』で産まれ落ちたとしても『病む』し、食生活が整えば、生まれが『弱かった』としても『元気』になれる。
太陽をね、身体に取り込むのよ。冬の寒い朝。光を照らす太陽をね。
冬至の柚子だったり、意味はあるのよ。
あたしはそう思う。だけど、それは私の自己満足に過ぎないのかな。
大寒の朝。
産まれ落ちた卵を回収し、夕方にお店に届く。
パッキングされるそばから、売れていくから、何度か顔を出す。
予約してもいいけど、前日の卵をパッキングされても嫌だから、タイミングが難しい。
藍はあたしの太陽で、亡くなったいまもあたしを母と一緒に照らし続けてる。
あたしはね、藍に食べさせたいんだよ。藍に元気でいて欲しかったんだよ。
大寒の朝。
卵を割ったら、藍はひょっこり出てきてくれればいいのに。
心が寒い。