Cogito ergo sum 世界史で覚えさせられるわね。全てについて疑うべし(De omnibus dubitandum)これは、小学生の時に父に習ったわ。子供に覚えさせてどうするつもりだったのだ、父よ。ま、弁護士の勉強させられてたから当たり前か。
Q なにゆえ、私だけ覚えさせられたのでしょうか?
A はい、人より記憶力が良かったからです。
記憶力だけではどうにもならないのですよ、一番需要なのは「はったりのかまし合い」
↑哲学する犬 ウィちゅきー
全て疑ってかかるということ。「考える自分が存在する」ことが、全世界がたとえ自分すらも「虚偽」だったとしても、「考える自分がいる」という「意識している自分」だけは「存在している」ことを否定できない・・・
・・・なので、基本、「全て疑っている」のよ。なので「矛盾」を見つけてしまう。
「貧乏くじ」も「自分が『理解した』うえで引いて」いる。故に全て「自分の責任」
方法序説的に説明するとこんな感じ。
母が死ぬ前に「楽しかった」と言ったのも「私を慰める」ためだった。
分かり過ぎて疲れる。
さらに哲学する 我が友人 ウィちゅきー
腹が痛くて、げっそりしてたら、みぃちゃんからモーニングコール。
「一緒に病院へ行きませんかぁ~」
ぐはっ癒されるわ~
みぃちゃんのところのうさぎちゃん「もも」さんの具合が悪いらしいのだ。
私もウィちゅきーの薬を買いにいかなきゃならんかったからちょうどいいや。
一人で待っていても退屈だし。みぃちゃんとだと勉強になるし。
でも、みぃちゃん、あんたの職場やろ(笑)
哲学するのに疲れてきた犬 最愛のウィちゅきー
お前は存在するだけで尊い。お前も私のフェンリル狼・・・・