餃子とシュナの脚

立体って彫刻とか陶芸?

平面って絵画とか書道?

立体が得意な人は平面が苦手。平面が得意な人は立体が苦手。

立体が得意な人は色彩がペケ。平面が得意な人は色彩にセンスがある。

だとすると、レオナルド・ダ・ヴィンチ君とミケランジェロ・ブオナローティー君はやはり天才なのだな。

ウィキペデアから ミケランジェロの『ピエタ』

ダ・ヴィンチより、職人度高し。この『ピエタ』の前で跪く人多し。あたしは信心まったくないけど、跪くあの姿は何度みても、胸をえぐられる。たいてい、跪ついてるのはおかん、「マンマ」や。彫刻自体は「やっと、私のもとに息子が帰ってきた・・・」というようなおとぎ話の印象だけど。

サン・ピエトロ寺院では下から『ピエタ』を見上げる形になるので、静かにマリアが泣いてるようにもみえるのは本当。あるべき場所であるべき時間帯にみる、本物の迫力はすごい。

どんな子供もおかんはいつでも「美しい」存在。特にイタリア人の「マンマ」の存在は強し。

でも、あたしは、晩年のこちらの↓『ピエタ』の方が現実味あって好き。

ウィキペデアより ミケランジェロ晩年の『ロンダニーニのピエタ』

まるで、石から浮き出してくるかのよう。

きれいごとのバチカンの『ピエタ』より人間味溢れててあたしは好き。「なぜ、私の息子がこんな目にあわなくてはならないのですか?」という老いた母親を、ダメ大工である息子の魂が背負ってる姿は、涙なしではみられない。すごい、傑作だと思う。こんな平面から立体に魂を吹き込んで、浮きだたせるあんたってすごいよ、ミケーレ。うちのお里のパパも凄いよ。どうしたら、あんな脚作れるのか。

・・・で、餃子をさ、作るのよ。

具を詰め込んでね、包むの。

もっと、細かいこというとね。

皮をね、伸ばすの。

練った強力粉をさ、棒状にして、トントントン。トントン飴風に。

そのひとつをま~るく伸ばして、真ん中はちょっと厚めに。

ワンタンは平面。餃子は立体。

包む時に「センス」がでる。包み方ひとつで「味」も変わる。

いわゆる、「焼き餃子」本場では「水餃子」が主流。ひだを沢山つけないと、餡が破裂しちゃう。

本場の家庭風。左右から真ん中に寄せて包む。

「水餃子」ひだを寄せなければ、中国の昔のお金「元宝」になる。

こちらは「雲吞」の包みを再現しただけ。「雲吞」の皮は四角だしね。

「金魚包み」とかあるけど、基本は餡を入れて潰す印象。

お里からお借りしました。

シュナの脚。

立体に作るには、平面を作っていかなきゃならない、・・・たぶん。

平面を作って、平面を作って、平面を作って。

このあたりが、「餃子のひだを、ひだを、ひだを」の印象。

この「平面」を作って、最終的には「角」を無くすという作業が難しい。

スティルライフだけではどうもならん。動きもついてくるし。

ただ、「立体」が先にくるのか、「平面」が先にくるのかで印象がかわるんだろうな。

ダ・ヴィンチとミケランジェロの違いのように。

聞くのは一時の恥、聞かぬは一生の恥・・・というが、一生は一時の集まり・・・

立体も平面の集合体・・・

花より団子のシュナーズ。餃子待ち。おかずはほとんどシェアね。

今夜の晩御飯は水餃子。本日は市販の皮にしちまったぜ。

果報は寝て待て・・・・请享受!