Vanitas

Vanitas vanitatum omnia vanitas.

私は他人に「イジられる」のが嫌いです。

かまわれたい人は「イジられる」のが大好きなんでしょうが、私はドン引き。

きっと、楽しくなってしまって止まらなかったのでしょう。

「イジられる」には『私に「イジられる」理由があるのでは?』と考えてみることにしています。

私のとっている行動、言動、それらの行為の結果「イジられる」のではないかと。

人が「自死」を選ぶのはそういう「他愛」のないことがほとんどです。

「なんであの人が?」

と思うほとんどはそういう「他愛」のないこと。

私は「風が吹いてしまった」と表現させて頂いておりますが、言った本人が思いもしなかった言葉です。

「イジる」のであるなら、その根拠を述べて欲しい。

「イジる」って漢字で書くと「弄る」となります。

私は「もてあそぶ」という意味でとらえてます。

「興味を持って吟味する」という行為にはとても思えません。

「弄って嗤ってる」に過ぎません。

もし、身近な人が困難なことに向かっている時、

もし、元気づけるのであるのなら、

ただ「大丈夫」というのだけでなく、

少しでも「根拠」を述べてあげてください。

何でもいいのです。

その日はお日柄がいいから、始めるにはいいね、

週末には涼しくなるから気分が晴れるよ、

もし、何か問題があったとしても回避できる内容だよ、

泣くな、明日は晴れるから。

「自死」と私はいつも後ろ合わせ。

だから、人に何かを伝えるときは、

何か道に繋がるようにと思って努力をしてはいます。

何度もブログでは書いています。

「人というものはたった一言で救われる」のです。

どうか、身近な人が救いを求めた時に、

どうか、その手を振り払う真似だけはしないであげてください。

どうか、嗤うという真似を努々しないでください。