ノラ・モンスクール Nora Monsecour をモデルにして描いた「Girl」
カンヌ国際映画祭において「ある視点」部門で初上映。
7月になって「Girl」のアクセス数が増え・・・・
やっとこ行ってきましたよん。これ、シュナのブログだったはずなのに(笑)
まったくシュナは出てきません。ごめんなさい。
文化村ル・シネマだったら一日中やってるけど、地方じゃね。しかも7月25日まで。
朝、たった一回。
シュナーズの散歩、朝ご飯、食後の散歩・・・・終わって猛ダッシュ。
レイトショーだと思ってたからなぁ。よりによって「朝一!」
・・・・で、以下ネタバレを含みます。
ララはあるバレエ学校の入学希望しています。「女の子」として。
つまり、バレリーナになりたいのね。「ポワント」で立って踊る。
で、8週間の試し入学を許可されて、無事、入学を許可されるの。
ここで、私が興味を持ったのが「一流のバレエ学校」といった印象はないの。
映画の中では「一流」ってことになってるみたいだけど。ララ役以外、体型だけ見ちゃったら「アウト」な感じ。3㎏~5㎏オーバーなんじゃ。
ララを演じているバレエダンサー(アントワーヌ・ロイヤル・バレエ・スクールに通う現役のダンサー男の子です)はプラトンの『饗宴』を彷彿させるような「少女のような顔に少年のような姿態」のアンドロギュヌス的な美しさがある。日本でなら興福寺の「阿修羅像」
・・・・そうね、三面六臂の「阿修羅像」の顔は「涙をこらえてる少年」の姿があるのよね。
あれが、一番ぴったり。
で、バレエ学校の先生も、性転換の手術を受け持つ医療チームも、必死なララにみんな温かいのね。本人の努力もすさまじい。
ポワント(トゥシューズを履いてつま先で立つこと)は、幼い時からの訓練が必要で、そのことをララも先生に忠告を受ける。
練習風景をみていると、腕はきちんと踊れるのに、ポワントで立つと、ポワントで立つことにほうに気がいっちゃって、腕が追いつかなくなっていくのね。
先生もだんだん(メートレス・ド・バレエかな)厳しくなる。
「痛いのはわかるわ、でも、それを乗り越えなくてはならないの、踊りなさい」
みたいに。
この時点でも、もう、ララの精神は一杯、一杯。でも、先生は「一人のダンサー」として見ている感がある。
一人でポワントのレッスンを受けるララ。レッスンを終えるとそのおばあちゃん先生はララをぎゅっと抱きしめるのね。私、ここ感動だった。先生はたくさん、見てきてるの。こういうダンサーの卵たちを。頂点を極めて残るのはほんの一握り。
張りつめて、張りつめて、張りつめてる精神。
そこを、緩めてあげる。切れてしまう前に。
人に「ものを教える、育てる」ということは、こういう「緩急」が必要だけれど、出来る人って少ない。厳しいけれど、とても優しい。突き放さないで、ともに苦しんでいるのね。
このバレエ学校のレッスンと病院での「治療」が時間的には同時進行。
第二次性徴が始まっているので、「少年」の体つきになっていくのを「嫌悪」しているララ。
性転換手術の為に「女性ホルモン」を飲み始めるのね。
ここで、精神的にも追い詰められていく。
頭では「少女」なんでしょうけど、性的欲求は「少年」の摂理のほうが詳しいのよね。
男性の臨床心理士(ベルギー、フランスで何という仕事かわかりません)も、すごく心配していて。この役者さんが上手いんだけど、ララの性転換の手術の説明を受ける時に同席するんだけど、組んでいる手をみると「指」をしきりに動かしている。葛藤しているのがよくわかる。
みんなララを心から心配しているの。だから、ララ自身が本当はもうアップアップなんだけれど、言えないの。
ララには6歳の弟がいるんだけれど、この子も我慢しているのね。思わずララの本名の「ヴィクトル」と言ってしまう。
たぶん、学校でララの事を何か言われたのね。でも、言わない。お父さんはララの為に、仕事を辞めて引っ越してきて、弟も転校。みんなララを愛している。
・・・このあと、クラスの女子からいじめにあうんだけれど、これもまた、ララには屈辱的ないじめで。少年の身体が嫌なララは下半身を「前はり」して「突起物」を隠しているの。
それを「女の子同士なんだから見せられるでしょ?」みたいな。ものすごいいじめ。
練習中もお水を飲めないの。飲んだらトイレに行きたくなるから、練習が終わるまで一滴も飲んでない。「突起物」にテープをとめて隠しているの。これをお父さんに見られてしまう。これは、お父さんとの約束で「やってはいけない」と言われたんだけど、レオタードを着ると目立ってしまうしね。このお父さん役の方。舞台出身らしい。最近の役者さんはわからないなぁ。
一生懸命、「前はり」するから、「突起物」は炎症を起こしてしまい、性転換手術の準備までも延期するか、やり方を見直しましょうってことに・・・・
ここから、クライマックスへ。
でも、用意周到なの。氷を用意したり、救急車を呼んでおいたり。
思いつめたララは自分の「性器」をはさみで切ってしまう。
そのあとは退院したであろう、ララが地下道を歩いてる姿。
これで、おしまい。
ドキュメンタリーにしたかったんだけれど、出来なかったから「映画」になったんだけれど。
最終的には何が言いたかったのか「最後のララが地下道を歩いている」ところで終わっているので、なんだかぼやけてしまった。
それまでは、「思春期」の子どもを抱える「家族」の話だった。最後のシーンがもうちょっと違ってたら印象が変わってたのになぁ。
お父さんの苦悩がすごい。フランス語圏の男性って「必要とされてなんぼのもの」だから、「自分が力になれない」ってなると、「自分自身の存在全否定」になっちゃうのよね。
お父さんと「娘」のお話。監督が男性だから(ちょっと女性よりか?)夢を持った終わらせ方とみた。これが本当の女性の監督だったらもっときつい終わり方にしたと思うわ。
モデルになったノラ・モンスクール Nora Monsecour 素晴らしいダンサーです。
公平にチャンスがありますように。