生きようとする力

kassisです。

うちの姫。お昼寝中。本日の付き添い看護師whisky

肝臓の数値がALP1585がALP2000にまで跳ね上がりました。(←もっと高い子もいるしね)

ALTは医院の計測器では振り切っちゃったので専門に回してもらってます。

次に打つ手を考えるべきく、一昨日のうちに知る人ぞ知るプラーナ和漢自然医療アニマルクリニックへ予約を入れております。包括的に治療していくよ、あたしゃ。

月の前半は大阪。月の後半は横浜というスケジュールだったらしく、「予約を取れるのか?」と思ってたら、「近々だと明日(7月19日)はいかがですか~?」と、ゆる~い回答が。

木曜日の10時は無理だったので、金曜日(7月20日)10時にアポを入れ、金曜日、点滴のあと行ってきます。

藍はすごい。ひきが強い。叔父にそれだけのことをしてきてくれたんだね。

親戚たちは藍のこと保健所に連れていけって言ってたよね。

叔父の介護も誰もせず、一番気の強い、叔父と言い争いばかりする私に全てのおはちがまわってきた。

叔父も「優しい私の従妹たち」には連絡せず、知らせるなら「あいつ」にしてくれと私を名指し。しかも、かかってきたのは呑み屋のママ。(←おいおい)

死ぬまで心配していた藍のことも、私が叔父さんが家に戻るまで預かるからと、叔父の家から連れ帰った。

「藍、かわいいだろう?」と何度も何度も言ってたよね。搬送された病院の窓の側まで何度か藍を連れていったけど、会うことはかなわなかった。最後に会ったのは納棺の日。

子宮蓄膿症の手術あとでトリミングにも行けず、叔父も倒れてしまって2カ月洗ってもらてなかった藍。みんなは臭い、臭いと言っていた。毎月、第三木曜日にトリミングに出してもらっていた姫さまだったのに。

犬だからわからないとでも思うのか?

犬だから哀しくないとでも思うのか?

たった一日でも一頭残された一軒家で藍は何を思っていたんだろう。

そんな中、気が付いたら藍は声を失ってしまっていた(←一年後に声は取り戻しています)

近所の猫友さんに貰ったビスコッティ。

本日の藍リンのご飯は鮪のかまとビスコッティ。小麦粉だからいいか。私が食べているのをみて目で欲しがった(←もちろん、Sarahぺっこ、whiskyも欲しがったが却下。そのあとSarahぺっこは机の上のカリントウを一袋いきました・・・私が仕事の電話で席を外している間に)

生きようとしている。がむしゃらに。

がんと闘っていた母の瞳と同じ。

死んでたまるか、という瞳で一心不乱に食べている。

・・・違う、これじゃない。

ご飯の前で立ち尽くす。

食べたいのに、喉に落ちて行かない。

私は食べられるものを探さなきゃ。これも母のがんの時と同じだ。

毎日、毎時間、食べられるものを探していた。病院で同じ治療中の患者さんから「何なら食べられるのか」、「食べられる食物の順番、味、温度」など聞いて回った。その当時、がんの点滴部屋では私の母の付き添いは有名になっており、話しかけられたり、質問されたりが多かった。

少しでも喉に通るなら、なんでもいい食べてくれ。

母の時に犯したあやまちをもう一度大事なものにしたくない。

愚かな私は必死で食べようとしている母に、そんなもの食べるよりもっと栄養になるもん食べてとのたまったのだ。

母が食べようとしていたものは「スピルリナ」

いまでは知られるようになったけど、その当時はあまり知られてなかった。(←うちのシュナーズはふだん食べてます)

抗がん作用があるスピルリナを、母はせめてと食べようとしていたのだ。

食べ物が通らない喉で。

私はその母の気力を一言で全て奪い去ったのだ。

目に力があるうちは、なんとかなる。

必死で生きようとしている。

私は今日も食べ物を探さなきゃ。

愚かな人間の私に、動物の藍たちは、日々大切なことを教えてくれる。