憂鬱という病

まず、あたしは朝から憂鬱だった。

頭に流れるのはガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」というより、ショスタコーヴィチ「ワルツ第二番」だった。

朝から毛玉だった。

前脚に種の入った毛玉が。

あたしは悩んだ。

スリッカーをかけていると、毛だどんどん切れてしまう。フラフィさんに電話しようか。いや、それは悪い。ブラッシングスプレーでほどいてもみた。種が出てこない。

これとか↓さいあく

例えば、トリミングに出したとしよう。他に例えるなら、手術の為の入院だ。

トリミングの場合「シャンプーしてカット」をするのがメインのお仕事である。

「毛玉」はあくまで「仕事をするための前提条件」として「ほどく」だけの話だ。

手術の為の入院。看護師のメインの仕事は「医者の指示の元、患者のケア」である。清拭したり、おしもの世話をするのも「病気のケアの為の前提条件」であるにすぎない。

が、時に人は大きな錯覚をする。

「毛玉を取って当たり前」

「おしもをしてくれて当たり前」

が、職業としている人は思うだろう。

「毛玉取るために、トリマーになってねえよ」

「あたしは家政婦じゃねえよ」←こういうのはキャビンクルーの「あたしはホステスじゃねえよ」に通じる。

結果。あたしはハサミで毛玉を切った。

そうよ、太陽が眩しいくらいで殺人が起きる世の中よ。

ハサミ一つで人はなんだってやってしまうのよ。

あたしは朝から憂鬱だった。

明日の朝。穴の開いた前脚をみてきっと後悔。

「ラプソディー・イン・ブルー」といえばバースタイン。

「ジャズ組曲」より「ワルツ第二番」

シェスタ子が「jazz」を書くとこうなるんかい・・・「jazz」を想像して書いた名曲。

エロくてアンニュイだ。この大道芸人ちっくで天井桟敷の人々ちっくな演奏がたまらん。