大衆文学と純文学の境界線はいったいどこにあるざんしょ。
謎でございます。
こちら↑先日受賞された一冊でございます。大衆文学部門でございますね。
あたくし、この著者、興味がまったくないんですよ。なんか香港の様子を日本に置き換えただけの感じの本をお書きになってらして。あたしなんて九龍城の世代ですから。まっ、この著者も香港への愛は並大抵じゃないことはペンネームでわかりますしね。
だから、本屋でみかけた時「犬?ん?」だったんですよね。
こちらは、純文学ですね。間違いなく純文学です。
著者はバーニーズ・マウンテン・ドッグがパートナーの様ですね。バーニーズは「10歳を過ぎたら神様の贈り物」と言われるそうで。
以前あたくし、震災で飼い主を失ったバーニーズの女の子が里親を募集されていたことがありまして、動物行動学を研究しているその場所(みぃちゃんの現在の所属大学)まで会いに行ったことがあるのですよ。その子は男の人に虐待を受けていたらしく、弟がいるあたくしとしては里親の資格すらございませんでした。確か7歳くらいだったと思うんですが。
著者のこのパートナーちゃんは11歳で亡くなったそうです。ブログに掲載されてたみたいですね。
丸善で平積みになっていた受賞作品を一気に斜め読み(コロナ禍の中こういう行為はやめましょう)続けて、この2冊も斜め読みしましたよ。受賞作はなんとなく、いやらしさも感じましたけど、この最後の本はこの時期に読んではあかんかった。
みんな感じるんだ。あたしたちが犬を選ぶんじゃなくて犬があたしたちを選ぶのだということを。
犬の死を書くのは禁じ手じゃろ。ばかやろ。
ともに歩むものへ。
あたしは強いボスにはなれないけれど、つねに、ともに歩んでいたい。
先でも後でも、進んでも、止まっても。
必ず、そばで、ともに歩み切りたい。