罪と罰

イスラム教は知らないでやってしまった「過ち」は「罪」にならない。

例えばコンビニで買ったサンドウィッチに禁忌の豚肉のハムが入ってたのを知らずに食べちゃったとか。だって日本語読めんかったどうにもならんしね。カレー粉に豚由来入ってたって、わからんしね。わざとでなければ「罪」にはならん。

知らないでやったことは「罪」にはならない。

逆に知っていてやったことは「罪」になる。

そうなってくると「科学者」ってのはほとんどが「罪人」だ。

あたしには夢をみたことがあって、それは65%の確率で『不具』が出てしまう。

だとしたら、あたしは命がけで『かたわ』をこさえることになる。

『かたわ』って放送禁止用語か?『かたわ』って不完全とか、完全でないとかいう意味ね。

あたしは「無神論者」だけど、時に「神」だとか「倫理」だとか、「戒律」だとか。

そういうものが必要になる時がある。

「科学者」が「宗教」に転ぶ理由はそういうところにあるのだな。

罪を犯したのなら、罰は謹んで受けなきゃならない。

その覚悟がなかったら、決してしてはならない。

高校の頃の小論文のお題目が、現在は生きる上でのお題目。