快気祝い

2014年6月24日。

藍ちゃんは子宮蓄膿症の緊急入院から退院した。

藍の調子が戻るのと逆行するように

叔父は体調を崩し、私の叔父の介護が始まった。

朝、5時に叔父の家まで行き、藍を散歩させて、仕事に戻って、15時に再度、叔父の庭の水やりと藍の面倒をみて、また仕事。

叔父が9月に入院するまで、それは続けられた。

9月21日、叔父が鬼籍に入り、藍は正式に私のパートナーになった。

それから、毎年、藍は「6月」になると必ず調子を崩した。

叔父の日記には藍のことが詳しく書いてあった。

今日はどこでおしっこをしたとか、何回したとか。

目を掻いていたとか。

吐いたとか。

藍はもともと「目」の弱い子で、毎年、花粉やその他のもので「アレルギー」が出ていた。

叔父の日記を読むと、何の薬を処方されていたか、いつ、アレルギーが出ていたかわかったので、血液検査は2月、8月の他に、気になった時は必ずしていた。肝臓の数値があがるのだ。

心配性と揶揄されても、私は検査を頼んだ。7倍のスピードで進むのに、症状が出てからでは手遅れということが理解してもらえなかった。

油断した。

毎年、肝臓の数値があがり、8月から9月にかけて、正常値に戻るから。

それでも、「中毒ではないですか?」と聞いたけれど、「そのような症状はみられない」と。

悪いほうに、悪いほうに、全てがまわり始めた。

色んなことが関係してくるのだけれど。

悪い感は当てるんだ。危険だ、危険だって、何かが知らせてくれる。

それでも、藍には届かなかった。

藍ちゃん、

藍ちゃんと同じ「ai」って名前の12歳になった女の子が、幸せそうに暮らしていて、ねえね、嬉しくなっちゃった。

具合が悪くなっても、何度でも「快気祝い」をしてあげたかった。

介護なんてへっちゃらだよ。

人間5人も介護して葬式出してきたんだもん。藍くらい、お茶の子さいさいだよ。

命日がだんだん、近づいてくる。

・・・気が狂いそうだ。

元気な振りをするのもいやだ。

それでも、明日は来る。

藍の快気祝いをしてあげたかった。

でも、私の藍は、私を残して、死んじゃった。