「転ばぬ先の杖」か「渇して井を穿つ」か

エリタンを連れて病院へ。8時30分に着いて4番目。

朝、散歩中、小ガラスが地面でうずくまっていた。

親ガラスも子ガラスの後ろに居て、

「あの子ガラスやばくない?」

「飛ぶ練習でしているんですよ、助けたら誘拐になっちゃう」

そんな会話をしていた。両羽を韓国の妃の宮廷服のように広げていた子ガラス。

エリタンを病院に連れて行くとき、まだ、子ガラスがうずくまっていた。

「あの子ガラス、やっぱり飛べないんじゃない?」

「親が側にいるから大丈夫ですよ」

朝の散歩中は親ガラスは確かに傍らにいたけど、エリを病院に連れて行くときは上からみてた。

明け方までエリが心配でずっと起きてた。

「肺水腫」の感じではないけど、どこか痛いのか呼吸が早くなったり、遅くなったり。

一分間に何回だとか、耳とか肉球の熱を測ったり、息をしているか確認したり。

あたしがエリタンの視界から消えると追いかけて来る。

病院で血液検査からレントゲンからエコーまで全てをやってくれとお願いした。

どのみち一年たったのでドッグドッグをしてもらおうと思っていた。

先生が「一年経ってるので、詳しい血液検査だけ念のためにしておきましょう」ということに落ち着いた。結果は水曜日。

「肺も心臓も変な音はしていないし、若いからそこまで心配しなくても大丈夫ですよ」と微笑まれた。エリタンは確かに分離不安気味かな・・・と。

藍の時は年二回血液検査をしてた。

あの時に以前通っていた病院で言われた言葉は一生忘れないだろうと思う。

「転ばぬ先」の事を考えて、心配しすぎだと嗤われる。

だけど、喉が渇いてから「井戸を作って」も遅いのだ。

あたしは、犬を病気にしたいわけでも、犬の病気を探したいわけでもない。

ただ、藍の二の舞だけはもう嫌だ。

エリタンを連れた帰り道。

あの子ガラスは死んでいた。

親ガラスは切なさそうに、木の上から啼いていた。